当たり前とか常識とか普通とか

自己啓発

普通ってなんだ?

「普通はこうだろ。」「普通はするだろ。」と普段の会話でよく普通と言う言葉を耳にします。

ほとんどの人は意識せずに使っている言葉ではないでしょうか?

 

普通とは、「変わってないこと・ありふれていること」などの意味があります。

ただ最近使われている普通は少し違う意味に聞こえてしまいます。

 

「普通に面白い」「普通にうれしい」この使い方を見て思うことは、表現をあいまいにしているように思えます。

「普通に」などつけなくても意味は十分通じます。面白いなら「面白い」、うれしいなら「うれしい」だけで十分なはずです。

 

言葉をあいまいにぼかして自分の発言に責任を持ちたくないように聞こえてしまいます。

自分の感情にすら自信を持てない人、と私は思います。

 

当たり前・常識も同じだ

「こうするのが当たり前」、「これが常識だ」と言う人がいます。

 

「当たり前だから」「常識だから」と言い他人にアドバイスしたり、自分の選択肢を狭めている人は自分の考えはないのかと疑いたくなります。

 

常識、当たり前は大多数の人が正解だと思っている先入観や判断だと私は考えています。

なので「当たり前だから」「常識だから」とアドバイスする人は多数決に従え!と言っているように聞こえてしまいます。

こういう人は多数決が正しいと思い込んでいるのです。

 

常識が非常識になることも

多くの大人がならった

いい国(1192)作ろう鎌倉幕府のごろ合わせですが、今では1185年に鎌倉幕府が成立したと習うそうです。

いままで多くの歴史学者や資料から1192年が最有力で世間では常識とされていましたが、新しい資料の発見や物の見方で常識は変わってしまうのです。

 

今まで常識だったことがある日を境に非常識になった

皆様もご記憶にある通り、日本の原発安全神話です。

この事故が起こるまでは原発は絶対安全!クリーンなエネルギーでCO2排出0!と謳っていました。

チェルノブイリ原発事故を受けても日本の原発は構造が違うから安全だ。同じような事故は起こらないと言い切っていました。

 

しかし似たような事故は起こりました。状況やきっかけはチェルノブイリと違えど、放射性物質が拡散したという点では同じです。

 

原発は安全と言うのが常識で当たり前だったのに、爆発が起きた時にその常識は非常識になりました。

 

結論

みんながと同じことを常識・当たり前・ふつうと言うのは構わないのですが、それを他人に押し付けるようなことはよくないことだと思います。

その常識が常識でない場合も往々にしてあるからです。

 

そして皆様も何かを始める時など、一度常識を取っ払って「これは普通じゃない」「常識的に無理だ」と言う考えを捨ててみてください。常識の中に新しいことはありません。新しいものは奇想天外、普通じゃない物ばかりです。

周りと違う(普通じゃない)からこそ価値があるのです。